ヤンセンが治療と予防に携わっている病気や疾患を持つ方々のアート作品をご紹介できることを光栄に思います。アーティストについて知りたい方、さらに多くの作品をご覧になりたい方はヤンセンのアートギャラリーにアクセスしてください。
ある人々は既成概念にとらわれない行動を好みますが、Leslie "Wren" Vandever氏は常に、独自の線で風変わりな絵画を描くことを好んできました。
「初めての作品は2歳ごろで、クレヨンと紙を与えられました。両親はすぐに、私がクレヨンと紙で彼らが思いもしないことをできると知ったのです。私はよく、塗り絵の裏表紙を開き、白い板紙に自分で絵を描きだしました。」
彼女のクリエイティブな取り組みは青春時代を通じて続きました。
「日曜日はよく、漫画の絵を模写して、どうやったら自分で違うキャラクターを描けるかを学び始めました。小、中学校では、学校でのどんな活動より、絵を描くこと好きでした。高校に入学するまで正式なトレーニングを受けたことはなく、その後、毎年、アートのクラスを取り、大学ではアートを専攻しました。」
母親のDoris Shirley氏は当時を振り返り、次のように言っています。「彼女の祖父はよく、仕事帰りに立ち寄り、彼女の手に鉛筆を持たせていました。そして、豚を描かせることから始めました。彼女は2歳か2歳半で、とても上手に豚を描いたのです。とにかく、描き続けました。絵を描くか本を読んでさえいれば、ご機嫌な娘でした。」
Wrenはカリフォルニア州サクラメント在住で、今は水彩絵の具、ペンとインク、鉛筆、色鉛筆、デジタルのタッチペンを好んで使用します。「水彩絵の具の透明感、ホットプレス紙への染みこみ方が好きなんです。一緒にインクも好んで使います。水彩絵の具はとても速くて、描き終わればそれで完成なことも気に入っています。ただ、失敗すると、最初からやり直さなければなりません。」
彼女は今でも、絵の題材として動物を好みます。「作品を見た人を笑顔にしたいので、動物を描くことが多いです。ドラゴンでも馬でも描けます。ただ、みんな、どこかとぼけた表情ですけれど。とても真面目に描こうとしたときも、可愛らしくなってしまいました。つい、そうなってしまうようです。」
彼女の作品Whooping Crane(アメリカシロヅル)はこのほど、許可された作品を収蔵するヤンセンライブラリーに加わりました。ここはヤンセンが治療と予防に携わっている病気や疾患を持つ方々による作品を収蔵しています。
「アメリカシロヅルの作品はもともと、Twitterでのチャレンジで、『W』(whooping crane)の頭文字)が題材だったため、思いつきました。考えを進め、完成させました。昔からこの鳥たちが好きだったこともあります。この特定の作品を手掛けるにあたり、真のインスピレーションを与えてくれました。」
Wrenは30年以上にわたり、関節リウマチ(RA)と闘っており、つらい経験は彼女の情熱の原動力となっています。
「RAで、最も好きなことをやめなくてはいけないわけではありません。」
「私は1980年代初頭、空軍にいました。除隊後、やはり空軍にいた夫とともに、ドイツへ配属となりました。そこで、初めて関節リウマチと診断されたのです。」
Wrenと、海軍時代のポートレート
「RAと診断されたとき、まだ31歳でした。年配の人だけがかかる病気と思っていたので、とても驚きました。」
昔、塗り絵を手にしたときと同様、彼女は恣意的な制約に制限されることを拒み、RAにもとらわれませんでした。仕事を続け、ペンや筆で絵を描き続け、次第にRAとともに生きる人々のための活動家となったのです。
「この病の人を他に誰も知らないことが嫌になり、関節リウマチのための活動を開始しました。ブログが話題になり始めていたので、やってみて、どうなるか様子を見ようと思ったのです。」
彼女のブログ、RheumaBlog*はすぐに大勢のフォロワーを惹きつけました。「ニックネームのWren(ミソサザイの意味)は、RAのブログを始めたときにつけたものです。本名を明かすことに抵抗がありました。『Wren』がいいと思ったのは、とてもすばしっこく、美しい声でさえずるこの茶色の小鳥が、昔から大好きだったからです。」
Wrenはブログを通じてオンラインでの友達をつくる喜びを知り、さらにTwitterも大いに活用しています。「ソーシャルメディアで一番よく利用するのは、Twitterです。速くて、即時性があるので。すべてを長々と書く必要はなく、数語の励ましや今日の気分を発信するのにちょうどよいのです。この病にかかっている人にとって、朝起きて、痛みを感じた時に、自分一人ではないと知るのはすてきなことです。」
ソーシャルメディアの積極的な活用により、彼女はヤンセンの第1回Joint Decisions会議に招待されました。今ではRA関連の会議に、年3~4回出席しています。
Wrenはこう振り返ります。「(Joint Decisionsに出席したことは)とにかく光栄でした。関節リウマチの自らの体験を語り、多分、RAにかかっていてもできる限り良い人生を生きようと、他の患者さんを奮起させる場を得ました。さらに、この病の人々と会い、情報交換をし、新たな友達を作ることができました。」
「RA患者さんに希望、元気、そして自信を与えたいのです。」
これまでずっと、Wrenの好きなアクティビティはアートで、今も毎日描き続けています。「RAは私のアートに影響を与えています。アートで、RAによる痛みから気を紛らわしているわけですから。絵を描いていると、痛みに気をとられません。ペンやタッチペンを持つのがつらいときでも、描き続ける気が起きるのです。
自宅のアトリエ内のWren
デジタルアートはWrenに全く新たな世界を広げました。「デジタルアートを始めたのは、ペンや鉛筆、絵筆を非常に長時間握るのは困難であることが多いためです。タッチペンは手に持つことができ、筆圧も調整できます。私が作品を描けるように、非常に弱い筆圧でもタブレットは感知するのです。
タッチペンを使って描く。
Wrenは母親であるDorisの一番の介護者で、そのことも手に生じるかもしれない痛みから意識をそらせることに一役買っています。「私の最大のビジョンは、(RA患者に)希望をもって、できる限り元気いっぱい、人生を送ることができると伝えていくことです。」
「アートを生み出すことは常に喜びです。」
Wrenの娘であるCary Nicole "Nikki" Vandever氏は、母親の最大のファンの一人なだけではなく、芸術家としての歩みをたどっています。
左から右へ、Wren Vandever、Doris Shirley、Nikki Vandever
Nikkiは次のように語っています。「母が、関節炎を抱えてただ暮らすのではなく、それを克服するためにアート作品を利用しているのは、素晴らしいことです。母は活動家です。出掛けていき、さまざまな人々と話をします。ただ、情報を与えるだけではなく、自分の経験、人生を語るのです。彼らに共感し、支えとなることができるのです。」
Wrenはこう言っています。「アート生み出すことは常に喜びです。絵を描くことで私は夢中になり、リラックスでき、過剰な想像力のはけ口を得るのです。私が手がけた作品を見た人が一瞬でも楽しいと感じてくれたら、私は役目を果たしたことになります。」
*Leslie “Wren” Vandever氏がブログやソーシャルメディアで述べている考えは、ジャーナリストとしての彼女の独自の意見であり、ヤンセンの公式な見解ではありません。